「きりんってどんな奴?」
「経歴は?」
筆者が一体どんな人物なのか気になる変わった方もいるかと思います!
そこで、筆者の生い立ちについて簡単に説明したいと思います。
結論↓
5歳で幼稚園脱走→10年間不登校→筋トレと出会う→地方国立大・大学院、教育心理学専攻→小学校教員→月100時間のサービス残業と理不尽な上司→特別支援学校→フリーランス独立。
※随時更新予定
経歴概要
兵庫県西宮市で三男として産まれました!
産まれた時は息してなかったそうです(笑)
小学校から中学校まで地元の公立学校へ通っていました。
高校からは大阪の私立高校へ3年間通い、その頃から筋トレに目覚めます。
大学は長野県の国公立大学へ。週9日で大学のトレーニングジムへ通う日々。
そのまま大学院へ進学し、卒業後、長野県の教員として就職。
月100時間を超えるタダ働きの日々。もちろん筋トレもほとんどできず…
そんな生活に嫌気がさし特別支援学校を経て、1年半後に退職。
筋肉、教養、自由、全てを0から1に変える方法を発信すべくフリーランスとして活動中。
波乱の少年期

私は幼稚園から中学3年生までほとんど学校へ行っていません(笑)
幼稚園でお母さんが恋しくて、園を一人で脱走したところから不登校は始まりました。
今思えばすごいですね(汗)
それから学校が面白くなかった事とめんどくさかった事とでズルズルと中学3年生の2学期くらいまで不登校でした。
たぶん規制された一斉授業が合ってなかったんですね。
中三あたりで「こののままだと高校進学できなくね⁉」と今更ながら気づき、トホホと通い始めました。(笑)
でも一切勉強していなかった私は、進学はできたものの、案の定超底辺高校へ入学しました。
両親が有名大学出身で大学に進学することが当たり前だと思い込んでいた私は、このままだとさすがにヤバいなと思い、本気で勉強をする決意をしました。
完全に洗脳されてますよね。
そんなこんなで偏差値40ほどの高校から地方国公立大学へ進学できるまでにはなりました。
充実の青年期

大学時代は楽しかったなあ~
自分の好きな勉強して、自分の好きな時に遊んで稼いで。
僕の人生の理想です。
僕は大学、大学院と長野県の大学に通っていたんですが、ずっと寮生活でした。
寮と言っても、門限もないし、男だけでもないし、めちゃめちゃ汚いわけでもないし。
半分シェアハウスみたいな、そんな感じでした。
留学もしましたね、そういえば。
3カ月の短期留学でフィリピンへ行きました。
他国の文化は衝撃的でした…。
フィリピンは面白かったけど日本に生まれて良かったです。
もちろん海外旅行もしましたよ。
お金がなかったからアジア圏ばっかりだったけど。
大学院では台湾で学会発表をしたりもしました。
因みに大学・大学院時代の専攻は心理学です。
絶望の就職期

僕は大学院を卒業して教員として就職しました。
なぜ教員を目指そうと思ったのかというと、まあ何となく想像できると思いますが、「自分が面白くなかった学校を面白くしてやろう!」と思ったから出す。
卒業頃は金融にも興味があり、大手の証券会社から内定をもらっていたんですが、自分のような子供を救いたい気持ちが強く、やっぱり最後は教員として就職することにしました。
ですがその夢はあっけなく消えてなくなりました。
初めての担任は小学校1年生の25人学級でした。
学校現場では1年生と6年生が一番難しいといわれていて、本来初任から1年生を持たされることはあまりないんですが、校長先生によっては誰もやりたがらないため、新しく移動してきた先生に任せることがあります。
でもなんだかんだ1年生は可愛いですね!
「せんせい、おっけいグルグルって知ってる?おっけいグルグルってい言うと喋るんだよ~」
みたいな会話をしたのを今でも覚えています。
外国籍の生徒もいてその子も面白可愛かった(笑)
グルーガン指について
「あったかい!!!あったかい!!!先生あったかいよ!」
って言ってました(笑)
少しでも学校が面白くなるようにと学校行事や授業、休み時間、学校の変な風習を自分なりに色々工夫をしました。
ですが、学校というのは足並みそろえて右向け右であることを良しとする文化です。
白は白!黒は黒!これはこういうもの!って感じ。
一方僕は白もあれば黒もあるんじゃない?灰色OK!見方を変えれば全てが変わる!って感じ。
読んでわかる通り、私がやっていることや考え方は公立学校では無理がありました。
そんな考え方の違いから50過ぎのおじさん先生に職員室で盛大に怒鳴られたり、管理職が職員を管理してなかったり、毎月100時間越えのサービス残業だったりで体調を崩しまくっていました。
公立の通常学級には色々な意味で限界を感じていた僕は、他の学校なら自分の考え方と合うかもしれないと思い、特別支援学校へ移動願いを出しました。
あれですね、特別支援学校はもう通常学級とは別物ですね。
クラスも勤務環境も断然いいです。
ちゃんと仕事をすれば定時で帰れるし、児童二人に対して一人の先生がつけるので手厚いのなんのって。
しかも1クラス3~5人で担任を持つから余裕で休みが取れる。
通常級もこれくらい手厚くすればいいのに。
教育にはそれだけお金をかける意味があると思いますね、僕は。
話がそれましたが特別支援の子供たちはとっても可愛かったです。
みんな障害はそれぞれ違うんですが、なんともいえない雰囲気があります。
噛めば噛むほど味が出るみたいな。
わかんないか(笑)
正直自分には通常学級より特別支援学級の方が向いていました。
通常学級のように白は白!黒は黒!っと言っても特別支援学校では、できる子はほとんどいないので、そんなこと言う職員もいません。
特別支援のほとんどは最低限生きていけることを教える場なので、僕が通常学級で感じていた考え方の違いはありませんでした。
特別支援は通常学級とは一つ次元が違いましたね。
ですが、それゆえに僕のやりたいこととは違いました。
たしかに考え方のすれ違いもなければ残業もないし、年休普通にとれるし、そのくせ給料は通常学級より良いし、良いことばっかりなんですけど、、、
僕がやりたいことは学校を面白くすること!
つまり人生を楽しむことを教えたいってこと。
学校や集団を否定する気は一切なくて、それが合う人は素晴らしいと思います。
でも合わない人も楽しめる世の中にしたい!
やりたいことを我慢して右向け右して、いつのまにか排他的になって「チーン」ってなってる人が、生き生きとできるようになってほしい!
じゃあどうするか?
自分がその体現者になればいいじゃん!
それをどんどん発信して「チーン」ってなってる人の勇気に少しでもなれたら最高じゃん!
って思ったんです。
ブログとの出会い→現在

前から気にはなってたんですよね、ノマド的な働き方。
フレックスタイム制とか場所は選ばない仕事とか結構話題になっていたので。
でも一番大きかったきっかけは母親ですね。
母親が病気で倒れて、「私ブログで稼ぐ!」って言い始めたのが始まりです。
いきなりブログで稼ぐということが身近なものになって、現実味を帯びてきました。
母親が実際にブログで稼げているかは分からないのですが、僕にとっては良い刺激になりました(笑)
あと、僕は高校を卒業してからずっと長野県に一人でいたので、母親が倒れたことで家族を大切にしたい気持ちもありました。
そんなこんなで現在は、ブログを通して、大好きな筋トレや教育などを発信しているわけです。
もちろん自分らしく生きることの良さを皆に知ってもらうために!